考古万華鏡


須恵器の登場 (2001/03/26:No22)

古墳時代中期に、それまでの土師器に加えて新たに須恵器が登場します。
須恵器は青灰色をした硬質の土器であります。
その制作にはロクロを使用し、焼成には窯を用いています。
このような制作技術はそれまでの土師器にはありませんでした。

この新しい技術は5世紀前半を前後する時期に、
朝鮮半島から他の文物とともに日本にもたらされました。
初期の須恵器生産は、まず5世紀前半に北九州や大阪南部といった
限られた場所で始まりました。
須恵器を誇る上で重要な位置を占める遺跡に、
大阪府の泉北丘陵一体に広がる陶邑(すえむら)古窯跡群があります。
東西・南北ともに約9キロの広大な敷地に300ヶ所、
千基におよぶ窯跡があり、5世紀から10世紀にかけて連続して操業されていました。
この遺跡は須恵器の全国的な編年の基準となっています。

須恵器の生産が他の地方でも行われるようになったのは、
5世紀末から6世紀初頭のことです。
この時期、須恵器は器種が定型化し、各地の窯で共通した器種が作られ、
また同じような形態変化を遂げました。
遅れて操業した各地の地方窯は陶邑窯の技術がもたらされたものと考えられています。

宮城県河北町 和泉沢古墳群出土の須恵器
(右角のみ土師器)


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