日本にも旧石器時代が存在したということを証明する
岩宿遺跡を発見したのは、納豆売りの行商で生計を立てていた
群馬県在住のアマチュア考古学者・相沢忠洋氏であります。
しかし、戦前までは火山灰の赤土の層はとても人が住めるような環境ではないと
信じられていたため、彼の発見の意義はなかなか認められませんでした。
赤土が出てきたら発掘調査は終了というのが常識であったため、
赤土を発掘するというのは、常識への果敢な挑戦でした。
昭和22年、赤城山麓の切り通しで赤土の崖の中から
相沢氏が剥片石槍を含む8個のまったく土器をともわない石器群を見つけました。
その後、明治大学の芹沢長介・杉原荘介両先生の注意にのぼり、
昭和24年には地層的な確認というところまでいきました。
昭和24年9月11日(日)。この日は、岩宿遺跡を杉原氏をリーダーに
明治大学考古学研究室員らが発掘を始めた日で、
まさに日本における旧石器の夜明けとなる記念すべき日であります。